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http://www.jinja.co.jp/article/001-001114.html
靖國神社 奉納大相撲に一万人
平成18年4月17日
東京に春の訪れを告げる恒例の「靖國神社奉納大相撲」が四月七日、同神社相撲場で開催された。今年は序二段以上の力士約百五十人が参加。一万人の観衆が見守る中、全七十六番の取組が奉納された。
都内には半年程度アウトソーシング仕事に通いましたが、ビルディングにいただけでは靖国神社について何も言えません。地方都市にいる今現在は護国神社がすぐ近くにありますので、そこを自分の神社のイメージにして考えます。
靖國神社 奉納大相撲に一万人
平成18年4月17日
東京に春の訪れを告げる恒例の「靖國神社奉納大相撲」が四月七日、同神社相撲場で開催された。今年は序二段以上の力士約百五十人が参加。一万人の観衆が見守る中、全七十六番の取組が奉納された。
都内には半年程度アウトソーシング仕事に通いましたが、ビルディングにいただけでは靖国神社について何も言えません。地方都市にいる今現在は護国神社がすぐ近くにありますので、そこを自分の神社のイメージにして考えます。
奉納大相撲、なかなか風格がありますね。格闘技は、燃える競技とは呼べても格はあまりないものですが、相撲はなぜか格を感じます。祖霊に競技を奉納する儀式のある格闘技は、他にトルコのオイルレスリングがありますが、少しばかり重厚さが違うように思います。オイルレスリングの儀式は個人主義でみんなバラバラにやりますけど、相撲の儀式は神道の影響があり、力士が一丸となって行いますね。写真↑のような独特の風格は神道の影響だと思われます。植民地戦争時代は領土を守るのに精一杯で、国に奉仕させるため個のアピールは潰すしかなかったですが、相撲はそれ以前の時代に誕生した伝統があるだけに、化粧まわしが派手であります。それでも妙に統一が取れて見えるのが不思議です。紺色と灰色のビジネススーツ2つが並んだら、形は同じでも統一は取れません。美術大学教授なら理由を知っているかも知れませんが・・・。
ところで日本全国の神社の中心として靖国神社がありますが、先月は京都府出身の戦没者の慰霊を行ったようです。戦没者と言うと大東亜戦争の戦没者のみを指して呼ぶ場合が多いですが(慰霊碑に個人名が刻まれているのは、確かに大東亜戦争の戦没者のみですけど)、日露戦争から大東亜戦争までの戦没者を慰霊するようです。戦争を賛美しているのではないか?という向きもあるでしょうが、領土を他国に組み込まれた民族の運命を知って欲しいですね。チベット難民の中国政府の弾圧に対するデモ行進が日本でも行われていますが、日本という国が独立していられたからチベットのような惨状を免れたのです。これが戦争賛美でしょうか。チベットのような惨状に誘導しようとする政党が堂々と国会弁論やっている現状はとても痛いです。
日本の首相が靖国参拝すると、特定アジア圏の国々が「反対、反対、だーい反対」をやりますが、日本全国の神社を代表する靖国に首相が参拝するのが何故いけないのか分かりません。つまるところ日本独自の文化について廃止を唱えているのであって、A級戦犯廃祀で済むとは思えませんね。A級戦犯は反共闘士でもあるので、随分きらわれているようです。しかし、そもそも満州事変をやった石原莞爾が戦犯でないのは何故でしょうかね?北京大学での日本の歴史の見方は、明治維新~満州事変以前は好ましく、満州事変~現在は嫌悪するらしいですが、分かれ目の満州事変を起こした石原莞爾に言及しないのがフシギです。沢山のユダヤ人を満州に収容したから、戦犯にすると中国にも都合が悪いのかな?
満州事変までの経緯(wiki)
1905年、大日本帝国は日露戦争で勝利し、旅順、大連の租借権と長春 - 旅順間の鉄道及び支線や付属設備の権利・財産を清国政府の承諾を以って大日本帝国政府に移転譲渡する日露講和条約が締結された。これをもって南満洲鉄道(満鉄)を創立し、その警備を関東軍が当たることになる。当初、地元の軍閥長である張作霖とも友好関係を築いていたが、張作霖が中国共産党へ接近し始めると、1928年に、関東軍は張作霖が乗る列車を爆破殺害した(張作霖爆殺事件)。
張作霖爆殺事件は国際的に不問となった。しかし、張作霖の後を継いだ息子の張学良は日本に対する敵対的な行動を取るようになり、南満洲鉄道のすぐ横に新しい鉄道路線などを建設し、安価な輸送単価で南満州鉄道を経営危機に至らしめた。これに危機感を感じた関東軍は再三に渡り抗議するが聞き入れられず、石原莞爾(いしはら かんじ)、板垣征四郎の指導のもと、満洲事変を決意する。
満州事変については、いつか触れてみようと思っていたのですが、今日はwikiからのコピペだけにします。
ところで戦没者慰霊碑はお寺にはありません。神社にのみあります。戦没者は檀家ではありませんから、日本式の仏教(東南アジア仏教国から見れば“破門同然”らしいですが)は関係ないんですね。首相には日本式仏教のように檀家を選ぶようなことをせず、全国の神社の代表である靖国で護国祈願をしっかり行ってほしいものです。日本全国津々浦々まで護国祈願するのが何故いけないんですか?? マンパワーで何でも解決出来るほど人間は偉くないのですから、一年に一度くらいは天に祈りましょうよ。
護国祈願は個人で言えば交通安全・家内安全と同じで単なる自然な感情なのだから、政教分離とは別に関係ないような気もします。
ところで日本全国の神社の中心として靖国神社がありますが、先月は京都府出身の戦没者の慰霊を行ったようです。戦没者と言うと大東亜戦争の戦没者のみを指して呼ぶ場合が多いですが(慰霊碑に個人名が刻まれているのは、確かに大東亜戦争の戦没者のみですけど)、日露戦争から大東亜戦争までの戦没者を慰霊するようです。戦争を賛美しているのではないか?という向きもあるでしょうが、領土を他国に組み込まれた民族の運命を知って欲しいですね。チベット難民の中国政府の弾圧に対するデモ行進が日本でも行われていますが、日本という国が独立していられたからチベットのような惨状を免れたのです。これが戦争賛美でしょうか。チベットのような惨状に誘導しようとする政党が堂々と国会弁論やっている現状はとても痛いです。
日本の首相が靖国参拝すると、特定アジア圏の国々が「反対、反対、だーい反対」をやりますが、日本全国の神社を代表する靖国に首相が参拝するのが何故いけないのか分かりません。つまるところ日本独自の文化について廃止を唱えているのであって、A級戦犯廃祀で済むとは思えませんね。A級戦犯は反共闘士でもあるので、随分きらわれているようです。しかし、そもそも満州事変をやった石原莞爾が戦犯でないのは何故でしょうかね?北京大学での日本の歴史の見方は、明治維新~満州事変以前は好ましく、満州事変~現在は嫌悪するらしいですが、分かれ目の満州事変を起こした石原莞爾に言及しないのがフシギです。沢山のユダヤ人を満州に収容したから、戦犯にすると中国にも都合が悪いのかな?
満州事変までの経緯(wiki)
1905年、大日本帝国は日露戦争で勝利し、旅順、大連の租借権と長春 - 旅順間の鉄道及び支線や付属設備の権利・財産を清国政府の承諾を以って大日本帝国政府に移転譲渡する日露講和条約が締結された。これをもって南満洲鉄道(満鉄)を創立し、その警備を関東軍が当たることになる。当初、地元の軍閥長である張作霖とも友好関係を築いていたが、張作霖が中国共産党へ接近し始めると、1928年に、関東軍は張作霖が乗る列車を爆破殺害した(張作霖爆殺事件)。
張作霖爆殺事件は国際的に不問となった。しかし、張作霖の後を継いだ息子の張学良は日本に対する敵対的な行動を取るようになり、南満洲鉄道のすぐ横に新しい鉄道路線などを建設し、安価な輸送単価で南満州鉄道を経営危機に至らしめた。これに危機感を感じた関東軍は再三に渡り抗議するが聞き入れられず、石原莞爾(いしはら かんじ)、板垣征四郎の指導のもと、満洲事変を決意する。
満州事変については、いつか触れてみようと思っていたのですが、今日はwikiからのコピペだけにします。
ところで戦没者慰霊碑はお寺にはありません。神社にのみあります。戦没者は檀家ではありませんから、日本式の仏教(東南アジア仏教国から見れば“破門同然”らしいですが)は関係ないんですね。首相には日本式仏教のように檀家を選ぶようなことをせず、全国の神社の代表である靖国で護国祈願をしっかり行ってほしいものです。日本全国津々浦々まで護国祈願するのが何故いけないんですか?? マンパワーで何でも解決出来るほど人間は偉くないのですから、一年に一度くらいは天に祈りましょうよ。
護国祈願は個人で言えば交通安全・家内安全と同じで単なる自然な感情なのだから、政教分離とは別に関係ないような気もします。
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