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神社新報社のコラムから抜粋ですが・・・

 卒業式に「仰げば尊し」を歌ふ学校が減ってゐる。「仰げば尊し我が師の恩…身を立て名をあげやよ励めよ…」といふ歌詞が恩を強制し、立身出世を煽るから良くないといふのが教職員組合の考へ方であるさうな。先生も生徒も平等と言って教へるべきことさへ教へず、順位づけを悪として運動会でお手々つないでゴールインさせる教育をし続けて、今や子どもたちは「美しき良き生き方」のモデルや、生命を燃やして切磋琢磨することがどういふことかさへわからぬ状態に置かれてゐる。

 「仰げば尊し我が師の恩・・・」などと簡単に口にしてはいけないと思いますね。教職員組合が反対する理由が何であれ、“仰げば尊し斉唱反対論”自体は分があるように感じます。教職員が有無を言わさず素晴らしい師であるなら強制しても問題ないですよ?でも、現実には問題を抱えている教職員も少しはいます。それを前提としているから教職員組合が仰げば尊し斉唱反対に傾いているわけではないのでしょうが、ある教職員が師にふさわしいかどうかの調査は必ず入れたいところです。

 タダでこのような調査は出来ませんが、調査ゼロなのに単なる他人を師と仰いでしまうマズさはオウム真理教あたりを見れば一目瞭然かと思います。

「聞き込んで 納得して 最後に仰いだら 尊かった我が師と、我が準備の恩・・・」

と歌詞を変えれば斉唱しても問題ないかも知れません。実際のところ、我が師よりも我が準備の方が尊いと思いますけどね。ここでチベット仏教(ラマ教という呼び方はチベット僧にとって不快な呼び名らしいです)の教えの一端をチェックしてみましょう。

 まずすべきこと/法について学べる資格のある師を見つける。
ある人が法(ダルマ)に真の興味を持った時、まずすべきことは、法について学べる資格のある師を見つけることです。はじめの段階で適切な師を探し出すことが、最も重要なこととされています。その理由は納得できるものです。なぜなら、私たちを取り巻く日常でも、不適任でひどい教師によって生徒の一生をだめにしてしまうことがあるからです。ある教師がある生徒の一生をだめにする一方、不適任な法師(ダルマの師)は私たちの何百という生涯を簡単に滅ぼしていくといわれます。法(ダルマ)をマスターすることは、歴史や心理学のような一般の科目を学ぶこととはだいぶ違うのです。


 これですよ、コレ。まさに転ぶ前の準備です。南京であった出来事を日本軍と国民党軍の軍同士の戦闘と知らないで、中国共産党の南京大虐殺トークを「我が師の恩」のごとく信じているひと、いますね。日本という小さな世界だけでは通るかも知れませんが、世界では通りません。明治維新以来、義務教育制度が国民に行き届いている日本国が、国連会議場において中国・朝鮮のまわし者のアフリカ人に「人権擁護」の必要性を言われる筋合いもございません。識字率比べりゃどっちの国の子どもが公共施設に多く通っているのか分かるだろうと思います。人権はまず公共施設から、そして子どもから、でございます。公共施設でないところは誰かが私物化している場所であります。私物化された場所に人権を求めるのは非常に難しい事です。そんな場所に人権があるなら、ダライ・ラマは苦労していませんね。

 話が脱線しましたが、我が準備が肝腎であります。まず自分で自分に恩を売るのが尊き一歩だと断言してもよかです。
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