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 ※ヲシテ文献とは何か?はリンク集【日本巡礼】へ。

 ヲシテ文献と古代漢字文献の比較をすると、その雰囲気の違いに驚かされます。古代漢字文献は漢文調ですが、ヲシテ文献は短歌調です。印象がまるで違います。

 日本語と呼ばれてる言語は、今なお漢文調が優勢になっていると思います。これは白村江の敗戦が影響しているのでしょうか?ヲシテ文献と呼ばれるものが、どのくらいの時代に書かれたものなのかはまだ明らかではありませんが、敗戦で消される前の歴史なのは確かでしょう。荒れた朝廷内で仏教の渡来人がヲシテ文献を焚書して漢字文献に書き直している姿が目に浮かびます。

クリック!【古代極東世界大戦?・白村江の戦い】wiki内容は、従来の定説通りだと思います

 強大な唐に「敵国オリジナル文化」として死に追い込まれたヲシテが、なおも生き残ろうと短歌に姿を変え、現在も息を続けているのでは?という気がしてなりません。現代中国が追い込もうとしている靖国参拝とヲシテはダブって見えます。

 文化が違う限り異質なる者はずっと異質のままですから、文化を自分の劣化版に作り変え、上下関係化するために日本語を漢文調に作り変えた可能性は否定できないと思います。

 古事記、日本書紀が漢文調なのにホツマツタヱが短歌調なのは日本語の原型が最初から'五七調'だったのでしょう。ヲシテを見やすくするため五・七・五・七とブロック化するうちに、全ての単語が五七調に合うように生み出されたように思います。段落の最後は七・七の締めくくりで終わる時もあるようなので、短歌の五・七・五・七・七の始まりは「ヲシテ一段落最短コース」なのかもしれません。漢字仮名よりも短歌の方が先にあったものと思われます。このあたりはいずれ日本巡礼が触れるでしょう。短歌のルールは自分は良く知りません。

 それにしてもヲシテの五七ブロックに押し込める記述方法は書きにくかっただろうなぁ、と思います。そこが味わい深いポイントでありますが、このままの記述方法ではいくら何でも現代では不便です。人の名前ですら書けません。“ジョージ・ブッシュ”をヲシテでどうやって書くのだろう?現代には現代日本語がやはり良いですね。

 ところで憎憎しい「敵国オリジナル文化」を破壊する仕事を今なお支那が続けているようですが、ますますお日柄も良く、偶然にもヲシテ文献が発掘されつつある今日このごろです。この発掘がどのような影響をもたらすかは計算できるものではありませんが、「すごく良い仕事してますねー」であります。その立場は半分は'現代政治'ですが(近未来かな?)、残りの半分は純粋にヤマト史として楽しんでいます。

 しかしアマノイワフネが唐の船団に負けるとは・・・むう・・・。そこが悔しいのう。
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無題
GHQ、進駐軍、復員

▼665年、唐から朝散大夫沂州司馬上柱国である劉徳高が2000名の使節(進駐軍)とともに来日し、その3カ月後に帰国した。
この際、この唐使を送るため倭国側は守大石らの送唐客使(実質遣唐使)を派遣した。
その大使らは、高宗の泰山封禅の儀式の際に臣従を誓ったという。
『日本書紀』の667年には、唐の百済鎮将劉仁願が、熊津都督府(唐が百済を占領後に置いた5都督府のひとつ)の役人に命じて日本側の捕虜を筑紫都督府に送ってきたという記載がある▼

この「戦後体制」の総決算として、
律令体制の構築。 日本書紀の編纂。 仏教の興隆。
次の安定期まではかなりの時間があります。



真名 URL 2006/08/09(Wed)16:05:56 編集
>GHQ、進駐軍、復員
使い古されたテキストの存在を感じます(笑)。

しかし、どうもキリスト教と英語はうまくかぶっていないように思います。この勢力、宮内庁に食い込んでいるとは聞いていますが、活動実態がいまひとつ見えません。カトリックの浜尾枢機卿と小和田家は親戚らしいですが、皇后の方はすでに十字架をにぎにぎしているようです。

speak easy社会で数ヶ月前の記事で和歌の解析がありましたが、あの不吉な歌を詠んだのはキリスト勢力なのでしょうか。天皇が十字架をにぎにぎするかどうか・・・は興味がありますが、それ以上に中東の暴力拡大(裏読みですが、宗教を'ムダな役立たず'として空回りさせる作戦のようにも思います)、極東アジアの暴力拡大の方が興味があります。

人々を絶望に落とし、そして一本の藁を差し入れるのは誰か?<フリーメーソンが公に姿を現し、国境を超えたネットワーク力で戦争を止める>というシナリオが用意されているような気がします。
【2006/08/09 22:37】
無題
うーん。 現皇室のお話は、よくわからないのでパスします。
きちんとした「ソース」が見つかりませんから。

大国による占領が二回目だとすると、日本人の占領慣れも説明がつきます(笑)。

前回の占領の方が、むしろ徹底的な国風破壊がなされたと推定できます。
なにしろ漢字文献しか見つからないわけですから。
今回は英語国語化まではいかないでしょう。



真名 URL 2006/08/10(Thu)17:55:34 編集
Re:無題
ヲシテ文字の五十音対応文字が良くわかったなぁ、と思います。ロゼッタストーンのように誰かが解読したのでしょうか。

白村江の戦いに敗戦した当時は、文字を知っている人が貴族に限られていたのか、朝廷に押入って少数の貴族だけを狙ってしまえば滅ぼせるような、脆弱な性質だったのは想像がつきます。文は一部の人の占有物であったように感じられます。

大東亜戦争の敗戦ではすでに新日本語(?)が全体に行き届いていますから、朝廷だけを狙ってもキリスト教・英語が被さりようがない状態だったのかも知れません。全学校でキリスト教・英語強制なら分かりませんが・・・。うわさだけですが、GHQが日本語を禁止しようとしていた、との話を聞いたことがあります。本当かどうかは知りませんが、香港を見る限りありそうな話です。(こんなブログだからこそ言える、2ちゃんねるよろしき噂話。笑)

ところでヲシテ当時の人は、「オホゾラ」を「おーぞら」と発音していたんでしょうかねぇ。文献だけでは発音まではチョト、分かりませんね。
【2006/08/11 14:49】
無題
ヲシテの仮名遣いは、現時点ではまだよくわからんのですわ。 残念ながら。 だいたい写本がかなり新しいものですしねえ。
やっと定本が定まったという状況なんです。

いわゆる漢字文献時代の漢字の当て方とも違っていて、偽書説の根拠の一つになっていたりします。

そもそも、奈良時代とかの母音数からしていろいろ学説があり、8母音だとか(これは偽書説の根拠の一つになっています)、6母音だとか、5母音だとか。
縄文時代は「4母音」だなんて説まであるんですよ。 びっくりですね。 同じ人が奈良時代には8母音だと主張しています。 

みんな漢字文献からいろいろ推定しているだけなので、決めてはありません。
学説的にはそういう状態なのだそうです。

真名 URL 2006/08/11(Fri)14:59:50 編集
Re:無題
 縄文時代の4母音はどうやって調べたのだろう。まさか中世の墓場から出てきた人骨と比べ歯の磨り減り方が少ないから「イ」の母音がなかったに違いない、とか?学説がそんな根拠で広まっていたらどうしよう。

 日本書紀・古事記があるのが救いかも。これらとの純粋な比較なら学者も文句を言わないでしょう。
【2006/08/11 16:44】
無題
私は、同じ言葉で、そんなに簡単に母音数が変わるというのはとても信じられないんですけどね。
ものすごく不便ではないですか? 母音が変わったら? 

本当の当時の発音なんか、なかなかわからないと思いますよ。 日本語の「発音」を漢字で表記するのって、ものすごい無理なことですよ。 
「不明」というのが妥当なセンだと思っています。
真名 URL 2006/08/11(Fri)17:32:00 編集
Re:無題
比佐豆知神社とか、こういう漢字の当て字は雰囲気があまり良くない気がします。

それにしてもヤマザクラは開花は4月、オオシマザクラも開花は4月ですが、なぜ不断桜は1年中葉が残って2度も花が咲く?どういうことなのだこれは!「不断桜、ゲノム」で検索しましたが、ヒットしませんでした。

不断桜はヤマザクラとオオシマザクラの交配種、しかも昔は神社の境内にあったということで、何か人為的な起源がありそうですねぇ。別に超古代SFは期待しておりませんが、不思議なものは不思議です。
【2006/08/12 00:24】
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