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 どうも最近のエンターテイメント傾向は「感動」のようです。

リンク集の【J-CIA→梨元放送協会】より。
梨元、ネットでテレビ局を作る

2006/09/05(火) 13:31
今回のネタ:仕手ファイアンサーの本/梨元AV好評/田原総一郎AV/ITの商売、最近の商売/NHKはやりたい放題/TBSがビビってる/他
出演:梨元勝/須藤甚一郎/仕手ファイナンサー/NHK覆面記者3名


 を聞けば分かりますが、24時間テレビであろうが、亀田のボクシングであろうが、とにかく「感動」がヒットするようです。そして小泉純一郎氏。解体屋として優秀な小泉氏ですが、国民に支持される理由は亀田に似ているから、という仮説が提示されました。なんとなーく、納得です。 

 おそらく小泉氏本人は「とにかく感動させて支持されれば、それで良い。それで反対派は一掃できる」というシンプルな理由だけで行動していますから、靖国もきちんと世論調査をしてから行っています。安倍氏もそのヲシテ・・・ではなく教えを踏襲すると思います。政策そのものは米国がシナリオを作っているわけで、その点に疑いはありません。米国は靖国はどうでも良いでしょう。目的は日本の生活基盤のアメリカ資本化ですから、「靖国参拝で世論が支持するなら行けば良し、支持されなければ行かなければ良し」だと思います。小泉氏の靖国参拝の原因に感動逸話がくっついていますが、あれは嘘でしょう。

 おっと、話題がエンタメからずれました。軌道修正します。このページを読む人はJ-CIAユーザーの方がほとんどだと思うので、須藤甚一郎氏の小説「まっ黒長屋の物語」を知っている人は多いと思います。

 (知らない人のために)
リンク集へ【J-CIA→須藤甚一郎のコーナー】

 今から少し昔、5年くらい前でしたらこの小説を読んで面白かったでしょうか?5年前と言えば2001年、21世紀の花火が上げられた次の年です。21世紀には何か新しい世界が拓けるのではないか、と淡い期待を描いていた頃です。未来社会に対して何かを期待していた、最後の年であったような気がします。その頃にはさほどインターネットも発達しておらず、特にコンテンツの面で、2ちゃんねるとエロくらいしか選択肢が無かったのではないでしょうか。

 2001年9月11日以降は戦争、戦争、戦争でしょう。欧州にユーロが誕生したのは2002年です。そしてグローバリストが世界自由経済を打ち出し、今現在のような一個人までが家庭で市場に参入できる機械主導の社会になりました。
(参考 2000年代 wikiより。おそらく正しいと思われます)
http://ja.wikipedia.org/wiki/2000%E5%B9%B4%E4%BB%A3
社会がこのような型で形成されると、人間的な感動はどこにもありません。機械を使うのか、それとも使われるのか、二者択一の社会と言ったところでしょうか。通貨システムさえ無ければ機械を使ったとしてもこういう問題は発生しませんが、今の社会は通貨で維持されています。今は機械と電子通貨が2大メジャーでしょう。

 須藤氏が生まれ育った古き時代・・・金たらいと火鉢しか文明の利器が無かった時代・・・なわけがありません。戦争で金属物は全て供出対象になり、空襲で家々は焼失、多くの孤児が駅前で靴磨きをしてその日をしのいだ時代でしょう。自分も話だけは聞いています。上の段落と比べると数十年で雲泥の差です。しかし社会の発達はあったと言えるのでしょうが、豊かさとは異なる発達のような気がします。

 豊かであるなら、まっ黒長屋の物語を読んで感動を覚える理由がありません。この物語ははっきり言って、貧乏ですから。しかし、そこに何がしかの豊かさを感じてしまうのはなぜでしょうか。今はなき真っ直ぐな感動があるのでしょうか。

 今の時代なら焚き火などで体を温めなくとも、家にはエアコンや石油ファンヒーターがあります。自分は親戚が古い農家なので火鉢ではなく掘りコタツなら知っているのですが、結構寒かったです。その家も今は電化されて、土間などは廃止(昔はそこで馬が飼われていた。馬は大切な労働力として家の中で飼っていたんですよ!)、まったくフツーの現代風の家になってしまいました。正月には人が集まって餅つきをしたのですが、農地から市街地へと様変わりすると同時に、その風習もなくなってしまいました。もう、古い時代の風習は街に似合わないのです。

 今は便利には便利なのですが、便利なだけで感動がありません。内なる感動が無くなった心に、外から何かが忍び込んでいるような気もします。パチンコ、パチスロ、オンラインゲームなどの登場は必然なのかも知れません。とは言え、生活インフラは重要ですし、破壊行為などもっての他です。生活インフラが破壊されると、それこそ平均寿命が一気に短くなります。

 未来の日本は、現代エンターテイメントに現象として表れているこの種の問題を、さてどのように解決するのか(シオンの議定書では、大衆のレジャーに注目せよ、と書かれていますが、まさにその通りです)。方法がないわけではありませんが、マクロで数字合わせをしても、解決不可能です。教員の給料を上げたり、学校の設備を良くしたりすれば解決できる次元ではありません。

 育ち盛りの子ども達が真っ直ぐな感動を味わえる社会、珍走などをしてスピード感でも味わうしか他に何もないような社会を変革して、新たな世界観をどう形成するのか。社会全体ですからかなり手こずる課題ですが、日本巡礼と同時に、まっ黒長屋も手がかりの一つになりそうです。別の形で応用するための、何かのヒントですね。「ああ、面白かった」で終わっては、次に続きません。

 修学旅行の回数を多くして、戦時中の疎開のように家々に泊めてもらうのは良いかも知れません。・・・まあ、それこそ個人の家まで改築してもらわないと出来ないわけですが。勉強課程の進度はあまりこだわらなくても良いと思います。ほとんどの科目はインターネット質問掲示板と教科書だけで個人で出来るでしょう。自力で出来るようなものは、学校の先生が指導する必要はないと思います。極論ですけど。

 共通テストが出来たからどうした、といったところであります。ググれば?と思うのですが・・・。子どもには真っ直ぐの感動を知った後で統一教会の事とか、偏向新聞の事とか、消費者金融とか、そういうのを知ってから社会に出てほしいところであります。人を見たらどろぼうと思え、ではないですが。心の内にある直観的なものと、社会の歪みは漸次知るべきだと思います。

 共通テストで高得点を取れれば感動はしますが、良い大学にも入れますが、しかし、それが真っ直ぐを知り、歪みを知る強い子供とは言い難いように思います。
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